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周囲から学ぶ能力 [普通学級]

 

健常者の中にいればダウン症者は、そこからいろいろなことを自然に学ぶということを期待する親御さんも少なくない思います。しかし実際には、周囲からの働きかけが十分でない限り、自然に自分で学べることはそれほど多くないものと思われます。仮に、大人になってある程度のことを周囲から自然に学べるようになっているのだとしたら、それはしっかりとした働きかけや知識の教育が就学期になされていた事だと思います。

 

「学ぶ」というのは「真似る」ところから始まるとはよく言いますが、乙女ちゃんは大人になってもうわべだけ真似したままの状態で停滞してしまっていることが少なくなくありませんでした。つまり「学んだ」状態まで引き上げられていないのです。

 

例えば、以前に書いた"書き写す勉強"でも、勉強という行為をただうわべだけ健常者の真似をして書く行為をしているだけでした。書いてあることを理解しようという姿勢はなく、書いてあることを覚えようという姿勢もありません。そもそも書いていることが読めないのですから、そこから何かを得るというのは健常者でもものすごい高度な能力が必要になるでしょう。それに書き写すことが楽しくてしょうがないというのなら話は別なのですが、単に彼女はそれが「勉強」だと思いこんで、大変でも一生懸命やっていただけなのです。かわいそうなことに、身につくものはその労力に見合わないものです。

 

つまり彼女は、勉強という行為で、「書き写す」という真似の段階から「書いたことを考え、理解し、ときには記憶する」という本来の勉強の段階への移行ができないまま(知らないまま、あるいは学べないまま)大人になってしまったわけです。テストの時は0点が当たり前。私が冗談で0点を取ったと言ったら、彼女は喜んで「私もいつも0点だったから気にしなくていいよ!」と仲間を得たりといった感じでしたが、そんな状況で誰も勉強のやり方を教えなかったのか?たとえたくさん覚えられなくても、少しでいいから考えたり覚えたりすることが大事という意識付けをさせることくらいはできたのではないか、とも思うのですが、それなりの事情が学校にも家庭にもあるのでしょうからそれはおくとして、いずれにしても、いくら健常児の中で生活し続けても、適切な働きかけが十分になされないままでは、ダウン症者が自分で周囲から学ぶというのはそうそうできないことのようです。乙女ちゃんが大人になっても幼稚な行動や言動が多かったことも、健常児の中に「ただいるだけ」では自然に周囲からあまり「学べて」いなかった証でもあると思います。上の例でも、いつまでも「勉強」=「書き写すこと」という真似事で止まったままなのです。

 

ダウン症児は言葉の理解の遅れなどから必然的に「周囲から学ぶ能力」の発達が、健常児よりも遅くなると思われます。なので、就学期に、人からの働きかけを健常児以上にたくさん受けることで、その能力を少しずつ発達させていくことが必要なのだと思います。

 

乙女ちゃんの場合は、その「周囲から学ぶ能力」が、同年齢の健常児と比べたら相当未熟だったにもかかわらず、健常児と同様に自然に周囲から学ぶことを期待されて普通学級に入ったのでしょう。そこは健常児にとっては十分でも乙女ちゃんにとっては十分とはいえない働きかけの環境で、結局、周囲から自然に学ぶはずと思われたことも、彼女の当時の学べる能力をはるかに超えたものが多くて、ほとんど学べずじまいの学校生活になってしまったのではないでしょうか。

 

それでも彼女もいつまでも赤ん坊ではありません。学年があがるにつれて、ただ周りを見ているだけではだんだんつまらなくなったに違いありません。単に健常児に囲まれてたまに何かをしてもらったりするだけでは物足りなくなったはずです(親御さんや周囲は、それだけでも、よかったねぇ〜と言うから、なにか腑に落ちなくても、よかったという顔をしていなくてはいけない)。周りがしているように、自分が考えた話を聞きいてくれて、それに応答してくれる相手(大人でも子供でいいからとにかく他人)が欲しかったはずです。そういうやりとりを、たまにではなく、周りと同じように日々したかったはずです。周りが日々そうしてるのを否が応でも見せつけられているのですからこれは当然の欲求です。しかし彼女の環境では日々の実現はなかなか難しかったのでしょう。

 

仮想世界の仮想友達ならいつでも彼女の話を聞いてくれて、それに応えてくれます。周囲で意味のわからないことを話している健常児たちを観察し続けるよりは、仮想友達と話す方が楽しいでしょうから、健常児に囲まれていても仮想世界に浸りがちになるのも自然の成り行きかもしれません。しかしこれは周囲を見て感じる時間が少なくなることを意味し、すなわちそれは周囲から学ぶための前提が崩れることを意味しているわけですから、彼女が周囲から吸収する量もさらに一段と少なくなるという悪循環にもなり得たのだと思います。

 

さらには働きかけが十分でなかったのだから「周囲から学ぶ能力」そのものも未熟のまま、時間がだけが過ぎ、20代まできてしまったような感じがします。

 

「周囲から学ぶ能力」 これは黙っていれば自然にどんどん発達していく能力ではなさそうです。放っておくと真似の段階で止まったままです。真似の段階を乗り越えるステップを、就学期から周囲が意識し、少しずつでもしっかりと指導や後押しをして、いろいろな場面で自分でそのステップを踏めるように身につけさせてあげたいものです。

 

私は乙女ちゃんには、上の例の勉強に関しては「見た目だけ真似てるだけじゃだめだね」と言ってきました。ただし真似ることをやめてはまずいので、真似ることの重要性は話し、さらにそこから何をするかをことあるごとに話し合いました。「覚える能力があることはわかってるからね、ちゃんとその能力を使ってよ」と、ときにはおだて、そしておだてると調子に乗るのでときには突き放し、といったような働きかけを繰り返し行ったことで、彼女も少しずつ自覚できるようになっていったのです。



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