SSブログ

普通学級 [普通学級]

 

乙女ちゃんは小学校から中学までは普通学級(通常学級)の中で生活してきたようです。小学校の話を聞くと、4年生の時にいじめられたことを真っ先にあげます。いじめた人の名前もしっかり覚えています。ただ、そのほかの事はあまり記憶がないようです。4年のときのことを覚えているのなら、5年、6年のことも何か覚えているのかと思えば、別段記憶に残るような出来事はなかったようです。

 

こういう事もあったでしょ、とうながせば少しは思い出すのでしょうが、まあ、彼女の小学校の記憶というのは、4年生の時にいじめられた事がメインで、それ以外のことは記憶にすら残らないほど単調なものだったということでしょう。学校に行っても、イベント的に何かをしてくれる場合はあっても、日々の話し相手はできず、結局自分の仮想世界を作ってそこで仮想友達と過ごすことが多かったようです。これはとても悲しいことですし、普通と思われる学校生活とも思えません。

 

中学校のときの思い出は、これまた、1年の時にからかわれたという事と、からかった人の名前の記憶が真っ先にあがり、さらに、2年のときの担任が大嫌いだったということです。「他にはどんなことをした?」「 … 」とくにないようです。中学校でも大半は、日々の話し相手がいないので自分の仮想世界をつくって、その中で過ごしてきたのだと思います。なので周囲との記憶がほとんどないようです。

 

健常児でも学校でひとりぼっちの子供はいます。そういう例をだして、彼女もそんな一人とこじつけることもできるかもしれません。しかし、健常児は仮に学校内で友達ができなくても、周囲と同等レベルの言葉はわかるので、周りで何をやっているのかを理解でき、周囲の流れに遅れずにすみ、周囲に入る挽回のチャンスはいくらでもあります。字も読めるので、本を読んだりして、自分の世界観や知識を広げることもできるでしょう。自分で行動もできるので、学校以外の仲間を見つける子供もいるかもしれません。

 

乙女ちゃんはというと、文章が読めないので読書などで世界観を広げることもかないません。周囲も、避けてるわけではないにしても、話がかみ合わないので、どうしても普段の日常では少し距離をおいた感じになってしまうことが多かったのではないかと思われます。そんな中、周囲で何を話しているのかも理解できないので日々の会話に入れず、結局、乙女ちゃんは学校でも自分の仮想世界を作り、そこで仮想友達と話すことが多かったのではないかと思われます。周囲とのやりとりの記憶がほとんどないというのはそういうことだと思います。

 

親御さんは、この子もよくがんばったんですよ、と言うのですが、私は、何をがんばらせたかったのかな、という感想をもちました。毎日、一日の大半を、学校で、健常児に囲まれてはいるけど仮想友達と話すこと(つまり独り言)が多い環境。それで日々、会話する健常者の友達ができたかといえばそうでもなく、楽しい思い出ができたかといえばそうでもなく、他の健常児と同じような学校生活をおくれたかといえばそうでもなく、知識が増えたのかといえばそうでもなく、日常漢字が読めるようになったのかといえばそれもなく、会話力が向上したかといえばそれもなし。しいていえば、つまらないときは仮想世界を瞬時に作り出すことができるようになったことくらいでしょうか。これでは彼女の9年間もの「がんばり」が報われていないような気がしました。

 

表面的に普通学級に通うだけで、中身は普通と思われる学校生活とはほど遠いもの。親御さんも少し意地になってしまったのではないか?と思いました。「普通学級に通うこと」=「普通の生活」という固定概念に縛られすぎてしまったのではないか。普通学級に通う権利は当然、知的障害者にもあります。しかし権利を行使することばかりに頭を奪われて、今目の前にいる現実の知的障害の子どもの能力にとってどのような学校生活が真に幸せかということがおざなりになってしまうのは本末転倒です(もちろん意図的におざなりにしている親御さんはいないでしょうが)。必ずしも「権利を行使すること」=「子どもの幸福」ではないでしょう。親御さんは世の中の理不尽さに怒りを覚えることもあるでしょうが、その理不尽さに対抗して、あるいは、「普通学級にいくのが普通だから」というシンプルかつ正当ではあるけれど形式的かつ浅はかでもあるこの考えを頭ごなしに押し通して、子どもの学校生活を犠牲にすることだけはないように願いたいものです。よくがんばったよね~、と親に促されて、横で複雑な笑みを浮かべている乙女ちゃんは印象的でした。

 

彼女は「普通学級を卒業した」という名誉よりも、もっと素朴で具体的なことをいろいろ経験したかったのではないだろうか。例えば、わからないことを友達と相談し合ったり、冗談を言いあったり、ノートを見せあったり、時には親には言えない悩みを話し合ったり(これは乙女ちゃんが実際に口にしていました)、等々。そういった周りが日々している素朴なことを、彼女も日々したかったのではないでしょうか。

 

そういったことを普通学級の中で他の健常児が知的障害者に対して日々してくれれば問題はないのでしょうが、それを子どもたちに要求するのも酷な話です。子どもというのは基本的に前に向かって前進していくものです。自分たちも周りに遅れないように必死なのです。自分たちが2,3年前に知ったことを、「同じ学年の」知的障害児が今やっと理解したとして話してきても、それに話をあわせてあげることなどそうそうできるものではないでしょう。

 

それでも乙女ちゃんは登校拒否をしなかったのでしょう。学校へ行かないことはいけないことという潜在的な罪悪感も既にあったことでしょうし、仮に転校などを促されても、なんとなくそれは親の意向とは違うんだろうなと感じ取る能力は持っていたはずです。複雑な心理ですが子供というのは仮に親に虐待されても親に好かれたいと思い、そこから離れないものです。学校の友達にからかわれても、あるいはつまらない学校生活でも、そういう世界しか知らないから、そこから離れることを恐れ、そのまま居続けたいと主張してしまうものです。こういった実質的には選択肢のない主張を本人の意志として安易に受け入れるべきか否か。

 

私には親御さんが悪いという思いはありません。その都度ベストと思われることをしてきたのだろうし、もろもろの事情があるのは他人の私にはわからないし、理解できないことなのかもしれません。私のように端で好き勝手に言うことは簡単なことです。

 

ただ、彼女に小・中学校の楽しい思い出がなく、学校での周囲との記憶すらあまりなく、しかし嫌だったことはしっかり明確に覚えているという事実。またそれがいつまでも彼女の心の奥底に暗い影を落とし続けているという事実。現状の普通学級に通わせるというのは、そうなるリスクがあるという事は、次の世代のダウン症者の親御さんたちには伝えていかなければならないことだと思います。

 

ダウン症児が普通学級に通って充実した学校生活をおくるためには、環境、運、親御さんの人(学校や他の生徒の親御さんなど)との交渉力・協調力、等々、様々な要素がうまく絡み合って初めて可能になるのが実状のような気がします。それらが見込めない場合は、意地にならず、別の選択肢を考慮に入れることが必要なことだと思います。

 

9年間は長いです。特に小・中学校の9年間は大人の9年間とはわけが違います。子供にとっての9年は永遠に近いくらい長く、かつ、成長するのにとても大事な期間です。ただでさえ健常児の倍以上の働きかけが必要なダウン症児が、そんな大事な期間に、健常児と同等、あるいはそれ以下の働きかけしかなされない可能性の高い環境に何年もいては、ダウン症児の成長は非常に限定的なものになってしまうでしょう。そんなことを上回る「何か」がその環境に存在するのであれば話は別ですが、そうでない場合は、親御さんの柔軟な対応が求められると思います。

 

周囲がまだ幼稚な最初の23(小学23年)くらいは、健常児と一緒にいさせるだけでも有効かもしれません。しかしそれ以降は、健常児とか普通学級とかそういったことにこだわらず、実際に日々の会話をしあえる人がいそうな環境を探して(それが普通学級であればそれはそれでよいです)、そこで日々、生の人と会話を交わしながら学校生活をおくることが、一番、普通と思われる学校生活なのではないかと思います。これから就学を迎えるダウン症児の大事な9年間が、大人の理想、意地、こだわり、あるいは希望的観測等で埋没されないことを願うものです。



共通テーマ:学校
個性周囲から学ぶ能力 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。